ノートからパソコンと野帳併用までの経緯

全体的問題意識

どのようにして、アイデアや学んだことを保存するか、という問題と、どうやってそれを死蔵しないようにするか、という問題が、まずある。そしてこれは、論文の作成を視野に入れたときには、どのようにしてそれが、発想の直接的な材料になるのか、という問題になる。これらは相互に矛盾しており、どうやってこの矛盾を克服するか、ということが、私の取り組んできたことである。

経緯

ノートへの絶望がまずある。ここから、モレスキン→京大カード(Poic)→野帳とパソコンの併用、というように変化する。

ノート

期間的にはこれに携わっていた時期 が、一番長い。大学ノート、フィラーノート他が、具体的に利用したものである。
ノートの利点は、記述が比較的容易である、ということ。時系列順にかけるということ。などがある。記述するのに十分なスペースがあり、スペースが小さくて書きにくい、ということはない。そして、時系列順に並んでいるため、たとえば授業のように、まとまった内容が直線的に述べられること、つまり議論の展開が単純になされるものに関しては、書くことに適切である。つまり、本に述べられることをそのまま模写する、という用途が、ノートが本領を発揮する場面なのである。
その欠点は

  • それが死蔵される可能性が高いということ
  • 手で書くため、丁寧に書かなければ後で利用しにくいということ
  • 検索性に劣るということと
  • 時系列に沿ったもの以外には対応できないということ

である。また、後でそのデータを改変するということが難しい。

これを解決する方法として、ノートを複数作るという方法、ノートの取り方を変えるという方法、ノート自体を違う種類のものにする方法、とがある。

まず、ノートを複数作る方法について。ノートを、清書用と下書き用とに分ける。授業ごとにノートを分ける。テーマごとに分ける、などがある。ノートを複数作ることは、それがかさばるという理由で、問題が生じる。持ち運びにも不便であり、また保存に場所をとる。また、新たに発見されたことを付け加えるというのにも、不向きである。
ノートの取り方を変えるということも、行った。ノートの片側のみに、書き込みもう片方は、空白にして後で気づいたことを書き込むという方法である。これは、ある程度は、書き込みながら自分の思考を発展させるという点で有用であった。しかし、それは結局は、情報の保存と検索という点で、あるいは、決まったテーマを継続的に追っていくという点で、挫折する。
ルーズリーフを利用することも、試したが、これはルーズリーフをまとめるバインダーがかさばる、という点で、問題がある。また、保存性や検索性も、必ずしも向上しない。今振り返るなら、一つのページに一つのテーマを書くなど、PCやカードで試した方法を応用したら、それなりにうまくいくかもしれないが。だが、ルーズリーフの、ノートよりかさばるという欠点は、克服できないと思われる。また、ルーズリーフの保存の作業が、うまくいかない。バインダーは、持ち運ぶのに不便だから、ルーズリーフを切り取るなりして、あとで編集するという作業が必要になるが、私はいつも、紛失してしまう。
ここまでをまとめるならば、ノートを利用する方法は、その携帯性、検索性と編集という面においてうまくいかない。持ち歩き、アイデアを書き込んでいくということに不向きなのである。

私は、結局はフィラーノートを使うようになる。kokuyoの「ス−10S」と「ス−10WN」。プレインと方眼。手帳では、書き込むのに小さすぎるというときに、今でも利用している。また、授業などある程度まとまった情報を移すのには、手帳よりは都合がいい。手帳より、紛失の危険性やデータ化されない危険性は高いが。

モレスキン

ノートの後に、モレスキンを使うようになる。2006.06に使い始めている。最初は、全くメモ帳代わりに使っていたが、次第にノート代わりに使い始める。携帯性の良さから、この移行をやったらしい。本からの書き抜きやまとめに使ったり、会議の記録をとったり、日記を書いたりアイデアの書き込みをしたりと、雑多に扱っている。知的生産の技術の影響が見られる。カードに移行する前の段階であり、カードを使う必要性は感じていなかったのだろう。モレスキンは、結局二冊買っているが、タグを付けたり、日付をつけたり、そこに記述されたことをカードに移し、移したものには処理済みの判子を押したり、様々な工夫をした。
これの問題点は、問題を発展的に考察する、ということに不向きだということである。あることについて調べようとしたなら、そのたびにそのページをめくって、見返さなければならない。雑多に時系列で記述したのは、記述の便のためだが、これが検索性のネックになっている。
モレスキン自体は、決して悪いものではなかった。これは、カードを使い始めてからもしばらくは併用する。しかし、結局これは捨て、野帳を使うようになる。
モレスキンのメリットは、まずそれが丈夫であることによる。表紙が固い。また、しおり紐があり、ポケットがあり、ゴムバンドがあり、機能は申し分なかった。それを捨てたのは、まず、値段が高いということである。1600円弱はする。かつ、品質が大幅に低下したのが致命的であった。私が使った二つのモレスキンのうち、最初のものは従来の品質のもので、次に買ったものが品質の悪いものであった。糸綴じが減り、中の紙がすぐにとれてしまう。また、表紙が安っぽいものになってしまった。1600もかけて買う品物では、どう考えてもない。
移行先を2ちゃんねるなどを参考に、複数探したが、結局野帳を使うことになる。これは、150円ほどで買える。ちなみにmucuなどが、他には候補としてあった。

カード

カードを使うようになったのは、梅棹の著作ももちろん理由だが、それ以上にPoicというサイトを見つけたのが大きい。これは、梅棹やkj法をふまえ、アイデアを生み出すにはどうすればいいか、という観点のもと、編み出されたものである。それに、GTD(Getting Things DONE)を加えたもの。それに、情報をどう蓄積するかという思想や、それを長続きさせるには、どうすべきか、という思想が含まれている。

自分にとっての意義は、京大カードの利用への心理的負担を下げたということである。梅棹の著作では、具体的にそれをどう始めたらいいのか、という点では不明であり、またその効用もよくわからなかった。Poicは、それを、GTDや発見カードや記録カードといったように、複数のカテゴリーに分類することを教えてくれる。Poicは、自分の思考の過程を積み重ねること、あるいはそれを利用して、新しいことを発見する楽しさを、教えてくれたという点で重要であった。
今までの方法との関係でいえば、Poicは、情報が手帳では雑多なままになり、有効活用できない、という問題を解決してくれるものであった。また、アイデアの記述と保存と検索という問題を、どう解決すべきか、ということに示唆を与える初めてのものであった。また、自分の思考を書き出すことによって整理すべきだ、という思考も、画期的であった。

まず、私が行ったのは、Poicで使っているものと違うカードを使うことであった。Poicでは、インチ x 3インチサイズの「方眼(セクション)」を利用しているが、私の場合、そのときに叙述するのは論文についてが圧倒的に多く、それでは全く、スペースが足りない。そこで、B6の京大カードを使うことにした。それを持ち運ぶものとしては、モレスキンのカードパースを利用した。これも、Poicのサイトを参考に、改造を施した。
京大カードは、2007.11の終わりまで使うことになる。しかし、この論文の作成の過程や、パソコンを使うという方法を発見することで、次第に使わないようになる。
まず、これは、情報をまとめるのには向かない。少なくとも、論文のための思索をまとめるのには向かない。自分の書いたアイデアをまとめたり、論文にするためには、特別な操作を必要とする。データはそれだけでは、まとまらない。そのためには、また別の技法が必要なのだ。
Poicでは、タスクフォースという方法を推奨する。それは、内容が同じもののグループ化を行い、それぞれに名付けを行い、さらにそれをまとめる、ということを繰り返すものである。いわば、人間が頭の中で行っている発想の過程を、物理的にテーブルの上で行おうというものである。最終的には、それぞれのまとまりを章とした文章ができあがることになる。これは、kj法を利用したものである。
だが、これでは文章にならないのである。そもそも、自分が書いたものがある一定の文章を組み立てるのに有用なように、最初からなっているという根拠がない。そこにおいては、たとえ表面上はある点で共通していても、方向性において全く異なっているものが、含まれているのである。まとまったものをいくら眺めても、そこから新しい文章ができるわけではないのだ。それには、特殊な方法がいる。わたしは、新しい論文を作るために、それまでの複数のカードをまとめたカードを作るということを行ったりしたが、結局、論文は、自分の頭の中で構造を考えてから、書くことになった。データのまとめには、Poicは向いていないのである。
また、私がB6の大きさのものを使っていたことも、影響しているかもしれない。大きすぎるため、それを机の上にばらしてまとめる、ということは、かなり負担なのだ。そもそも、Poicが対象としているのは、研究者ではなく、もっと趣味の研究をしている人なのかもしれない。いま振り返るなら、Poicはそれ自体としては様々なアイデアを総括したものであり、有用なものは多く手にはいると思われる。
もう一つの理由として、私がPCを情報整理に使うようになったということがある。pcに、データとして打ち込んでいくということは、やはり2007.11から行っている。また、論文を作成する過程で、結局パソコンを使うのなら、データをためるのにわざわざ紙を使う必要がない、ということに気づいたのだろう。この頃から、自分の問題意識は、どのようにしてアイデアを出すか、ということや、どうやれば論文にデータがまとまるか、ということに、またどうやって過去のデータを利用するかということに向かう。これまで大きなテーマとしてあった、どのようにして、自己の経験を理論的に位置づけるか、という問題に取り組むことになったのである。

パソコン(TextTree)

パソコンへの移行には、ka8823ge「覚えらんない人のためのオンラインソフト備忘録」が重大な影響を与えた。というより、ほとんどこれに乗っ取って行っている。
まず、行ったのは紙copiを使っての、データの打ち込みであった。これで、テキストデータで保存を行う。この当時は、一用件一ファイルではなく、曜日ごとにテキストファイルを作り、日記とともに、思いつきのメモも載せる、という仕方をとっていた。pc、特にテキストファイルにおいては、検索が非常に容易である。だが、分量が膨大になり、またテーマも曜日ごとに分けるという必然性はないため、日記だけは同じ形式を残したまま、ほかのメモは、異なったフォルダに入れることになった。
これのために、様々なソフトウェアを探したりしたが、結局は、TextTreeに落ち着く。必要なことは、まずテキストファイル形式で保存することであった。他に要望としては、ファイルを開かなくてもその内容を確認できることなどがある。たとえば、タグやタイトルだけを、一覧にするということが、必要であった。これは、最終的にはViewLinesを用いることになる。

この後の経緯はまたこんど