バッファ理論

前置き

こんにちはつかさです。
今日は、今までメモとPCでやっていた方法を理論的にまとめる試みをします。

今まで、メモを書いて保存、それをためて発想をしようという試みをしていたが、この技術は世界の複雑性に対処せねばならないことから要請される。それに対抗するために、生じた事象をメモという形で保存し、あとで脈絡を付けているというように、僕のとっている方法は整理されると思う。

複雑な現実

生活する上で、複雑な現実から生じる対処すべき問題が、自分の意志、都合とは無関係に、処理できないくらいの規模で生じる。
それに対抗するアイデアもそのたびに浮かぶが、それは大抵不適切である。これに基づいて行動した場合、それはその場しのぎのものになる。それでたまたまうまくいくことがあっても、経験を理論化したわけではないのでいつか失敗する。同じところで何度も同じことを閃き、それを忘れ、また同じ失敗が繰り返されるのである。

ここで必要になるのは、複雑多岐にわたる想定外のものを処理する技術である。そのために、僕は出会ったことを一定期間ため、そこから関係するもの同士を切り分け、法則性を見つけ解決を図るということを行っている。

バッファという存在

ここでの核心は、時間的ズレの利用である。常に一つの思考、行動だけをし続けることは、想定外の出来事が生じることで中断される。そこで、その想定外の事象をいったん、別のところにメモという形で置くことで、中断を避けるのである。そのメモは、適当な分量までため、別の空いた時間にそこから適切な策を導き出し、それを元にまた別の行動を開始する。

つまり、今までの

  • 出来事→行動

というパターンの真ん中に、

  • 出来事→メモの蓄積→行動

というバッファを組み込むのである。生じた事態から、行動までの時間をずらしているのだ。

データ群に、出会った事象をすべてそこに投げ入れ、濾過されるのを待つ。そこから、関係するものだけを取り出して並べ、共通するものを見いだす。このようにして初めて、適切な対処法が見いだせることになる。
自分が従うものとして、時間軸とは別の流れを一方に持っておく。そこでは現実の時間をせき止め、一見複雑に見えていた現実を理解可能なものに腑分けして、それに基づいて行動する、という感じでしょうか。

バッファに求められること

バッファは一カ所でなければならない。生じる事象は複雑なので、あらかじめ作ったカテゴリーは機能しないからだ。
そして、全体としてこの種の技法がどういう形式になるかは、ためるデータを何で実装するかで決まる。ノート、手帳、メモ帳、カード、PCという選択肢があり、僕はPCを用いている。

バッファに投げ込んだあと取り出す

このバッファという観点で、これまでやってきた過程が整理されると思う。
ここでは、二つのベクトルがある。

  1. バッファに投げ込む過程
  2. バッファから取り出す過程

バッファに投げ込む過程 は、思いつきを書く過程と、それをあとで使いやすいように編集する過程とに分かれる。従って、次の区分になる。

  1. 思いつきを形にする過程
  2. メモを適切な形に編集する過程
  3. バッファから取り出す過程

三つの過程の説明

思いつきを何らかの形にする方法

いつでも書ける、ということがポイントになる。
出会い、思いついたことをいかに負担無く形にするかが要求される。

このためには、それまでのアイデアのメモが一切目に触れない方がいい。それを元にして発想をしようとしてしまうからだ。アイデアを出す時点では、その脈絡、意味無意味は考えない方がいい。アイデアを書くときには常に新しいページが開いているのがいい。

また、思いついてからそれを書くまでの手間はできるだけ減らす。これには、紙とペンというアナログな方法が適している。この二つは常に身につけるようにする。字は、どうせあとでPCに打ち込むのだから自分に読める程度でいい。

わかりやすい形に編集

取り出すときのために、適した形に変えることがポイントになる。

  • 形式が均一である
  • タイトルと日付がある

を満たせばいい。

この過程は、作業ができる場所が限られている。それゆえ、これは先のように、思いついたらすぐに書くというように単純化できない。またアイデアのように思いついたら即書かなければ機会が失われるというものでもない。先に紙に書いたものをどこかにためておき、適宜それを打ち込む、というのが適切である。

取り出す過程

関係するもののみを取り出し、並べ、そこから普遍的原理を見いだすという過程を辿る。

  1. バッファから必要となるものを取り出す
  2. 一つのまとまりにする

この過程により、そのメモを書いたときには?と思っていたものが、ただの勘違いによるのか、それまでの認識の誤りによるのかが分かるはずである。前者ならばその勘違いが解消されるだけであり、後者ならば以前の認識を修正すればいいのである。
ここで導いたことについては、具体的に何をしたらいいのかを一つだけ覚え、実行する。そこまでの考察の過程は、すべて忘れるというのがいい。後々のノイズになるからだ。そこで用いたものの再利用はできず、実際ここでやりたいのは現実でうまくいくことだけなのだ。

備考−背景思想としての学習能力

ここでは、特殊なものをいくつか並べたなら、きっとそこに普遍的なものを発見するだろうという想定をしている。
つまり、行動の指針とするものとして、経験以外のものはないと考えているのである。ただ、経験はある程度まとめたほうが最適な行動ができるだろうということから、学習能力自体を磨くということに特化しているのである。